0708

僕は体感的には1000人に1人いるかいないかレベルの孤独な人間であり、それを誇る相手の人間すらそろそろ世界から消えつつあるという現状なのですが、孤独と引き換えに様々な娯楽を享受して生きています。しかしながら、そういう娯楽を能動的に発掘しようという気概が年々失われているのも事実です。この間、フォロワーの方と Discord で話したときにも、コンテンツを新たに取り入れるのが年齢的に厳しいという話になりました。

そういう僕が最近ハマったのが VTuber、特に「にじさんじ」所属の VTuber です。VTuber は、もちろん以前から存在は知っていたし、キズナアイとか輝夜月の楽曲も多少は聴いていましたが、その程度の知識でした。まず前提として、僕はもう30分くらいかけてアニメ1話を見ることすら苦痛になっていました。それは、あまりにもアイカツ!を見過ぎてしまい、他の何のアニメを見てもアイカツ!の楽曲とライブシーンが無いことに空虚感を覚えるようになってしまっていたのです。だから、30分どころか1時間も2時間もぶっ放しでゲームとかをやっているのを見ても全然興味を持てなかった。

転機になったのは、以下のブログ記事を読んだことでした。

シャニマスのオタクが月ノ美兎に救われた話 - シャニマスコミュの感想文

シャニマスが非常に精巧なノベルゲーであることは理解していましたので、当然興味を持ちました。いやまあどちらかというと、自分で回収しきれないSSRとかのコミュを見てみたいなというのが本心にありました。まあとにかく見たんです。そしたらこれがとても良かった。
月ノ美兎ってにじさんじでは一番登録者数が多いんですけど、全然オタクに媚びている感じがしなくて、話上手いな〜って心から思いました。何だかすごいラジオ慣れしている声優みたいなのを思い出して、ああこういうタイプの VTuber も世の中に存在するのかってちょっと驚きましたね。もちろん、にじさんじ全体を見ると、いわゆるアイドルっぽい配信者もたくさん居るんですけど。
あと驚いたのがすごい頻度でコラボ動画を用意することですね。そこが企業 V の面白いところだなと思います。自分が以前から知ってたのは名取さなとか因幡はねるのような個人プレイが多い配信者だったので、ここまで多人数でわちゃわちゃする感じを想像していませんでした。3Dモデル同士でやってるバラエティ動画とか見ると「これは本当にバーチャルなのか...?」ってなりますよ本当に。


色々思ったことをとりあえず書いてみたんですけど、まあうん何だろう、自分の中での VTuber の趣味の立ち位置みたいなのはまだ定まっていないですね。
信仰という要素は間違いなく強いと思っていて、僕がかつて声優オタクコミュニティで懇意にしていたネット上の知り合いの方を見ても V に流れた人が多い。しかし一方で、VTuber に対してアイドルとは関係なく普通になんか面白いことやってほしいな・面白いもの見たいなっていう、ユーチューバーに持つ期待と同じ側面もあるんですよね。人によってこの2つのバランスは結構違うと思う。
何より配信者自身がどういうバランスで動画作り、ひいてはキャラ作りをやっていくのかが物凄く難しそうに見えます。例えば、月ノは自分のことを「バーチャルアイドルだと思って欲しい」と言う一方で、でろーん(樋口楓)はそういうのは自分ではない、みたいなことを言っていたような。

にじさんじが歌っている全体曲に「Virtual to LIVE」という曲があって、その中のキーの歌詞に「どうしようもなく今を生きている」というのがあるんですが、これが言い得て妙なのかなと思います。「どうしようもない」という曖昧な形容詞をこういうコンテキストで使うのが、まだまだ試行錯誤な VTuber 界隈そのものを表しているような気がしてなりません。

0620

人生における選択について、まあ考えるわけですが、これほど思った通りに行かない物も無いかと思います。
現時点で BAD だったと思える選択は、中学・高校の選択で(まあ中学受験自体が自分の選択だったかというとそうではないんですが、)今となっては本当に無の 6 年間だった(Disclaimer: 悪いのは全て、あの学校の環境・人間関係に寄り添えなかった私です!念のため)。でも入学当初は夢とか持っていたんですよ。きっとね。
逆に GOOD だったと思える選択は、大学の専門の選択で、これは当初はちょっと後悔していたので本当に裏目でした。まあこれも直近の判断なので、5年後くらいにひっくり返っている可能性もあります。

でも真面目に考えてみると、そうやって人生の一部分を切り取って、そこに良い悪いの評価をつけるのはおかしいわけですよね。なぜなら、時間は客観的にしろ主観的にしろ連続量として流れているのだから。「高校生」というラベリングをはがしてみると、そこには「15歳〜18歳の約3年間」しかないわけで、それは14歳とか19歳とかと本質的にあんまり変わらないはずなのです。なのに「高校生」は「中学生」「大学生」と違うことになっている。多分50人の小学6年生と中学1年生を密室に連れ込んで、分類しろって言われても、無理でしょう。

そういう気持ちになると、連続的なものを離散的に表現する行為(これが私の大学の専門の本質なのですが)自体がやっぱり良くないんじゃないかな〜と思ってしまいます。たぶん連続的なものを連続的なままに感覚で捉えるのは、昔の人間の方が得意だったんでしょう。なんかインド哲学とか中国思想とかそういうのはそういう面で利があるんじゃないんですか?知らんけど。

0508

ここ最近気を付けているのは、特定の作品(アニメや漫画、ゲーム)などを他人に強く薦めないことかなあ
その作品をやっていないから会話ができないってのは排他的だし、コミュニケーションとしても貧相だと考えることが多くなった

3/2にこういうツイートをしていて、やはり最近の僕はこの傾向にあるなと思った。自分の趣味をブログに書き連ねることに心理的な抵抗感を持っている。
それは、そういうことをしなくても、そういう友達が作れなくても、自分は一人で生きていけるんだぞっていう内心のアピールなのかもしれない。とにかく中高時代に出会った人間たちに負の影響を受けており、スキゾイドパーソナリティを培われている。


ゴールデンウィークは、論文のデモの劣化版を実装したり、サークル(サークルではない)の人たちと Zoom 飲みをしたりした。あとは、ジエチルさんと Skype 通話して、CICADA というバンドを教えてもらったので、聴いてみる。

0412

Zoom での大学授業という前例の無い試みから1週間ほど経過し、ようやく慣れてきたところか。
せっかくなので、私が感じるメリット・デメリットを書いておこう。メリットとしては、まずは通学が不要、朝早く起きなくてもよいということがある。私は大学まで片道80〜90分かかるので、それが無くなると一気に時間が浮いたように感じる。他方で、その浮いた時間を有効活用できているかというと、全然そんなことはない。思えば、通学時間を工夫して楽しむのが好きだったのかもしれない。中学生の頃から長時間電車通学に慣れているので、電車の中で読書したり、参考書を読んだり、アニメを見たりするのは昔から割と好きだし、通学自体が意外と運動にもなっていた。それがなくなってしまうと、生活にポッカリと穴があいたようにも感じる。せめてもの代償行為として、リングフィットアドベンチャーは毎日やるようになった。
個人的には、通学時間が無くなるということよりも、教室にいなくてもいいというメリットの方が大きい。教室、それは私の疎外感の源泉であり、人生の大敵である。授業が始まる前はできるだけ図書館で過ごし、ギリギリになってヘッドホンをつけて教室に向かい、授業が始まるまで周囲をシャットダウンするのが常だ。(つまり、(3期が延期されてしまった)俺ガイルの1期を見ていた中学生の頃から精神性が何も変わっていないわけだ。)オンライン授業では、人を避ける行動を意識的にしなくても、授業が始まる前に静かな空間でいられるのは本当に最高だ。
一方デメリットとしては、Zoom でのコミュニケーションに慣れていないところが大きいと思う。先生の話を受動的に聞くのは特に問題ないが、サークル(サークルではない)で、多人数で会話するような場合がかなり難しい。表情が見えない相手に語りかけるのはやりづらい、かといってビデオONを相手に強制させることもできない。あとは「手を挙げる」ボタンで手が挙がっていると判断するのも、現実に手を挙げている人を見るのとは大分落差がある。音に過剰に敏感になってしまうせいか、普通の会話よりも疲れるような気もする。

今学期は、私の学科では3つの研究室をそれぞれ1ヶ月訪問し、論文を読んで実装したり輪講したりするイベントがある(正式な研究室配属は秋であり、同じ情報系でもeeicや計数、駒場の学際Bとかと比べて、遅いと思う)。いちおう院試を受ける予定で、同じくらい志望で迷っている研究室があるので、それを決める判断材料を得られればいいなと思う反面、今のよくわからない状況で上手く進むのだろうか、先行き不明である。

0322

コロナウイルスの感染がここまで酷くなるとは思わなかったが、感染拡大とともに、人々の Twitter の使い方の差がここまで顕在化するものなのか、と大変興味深く思った。
世の中には、感染者が増えるたびにそのニュースのツイートばかりしている人もいるし、反対に、ウイルスなんかに我関せず、友達と楽しく馴れ合ったり、延々と自分語りをしてばかりしている人もいて、その差がすごく面白い。たぶん、前者は普段から孤独な環境にいる人で、Twitter で話題のニュースを追うか各種のメディアサイトを眺めるくらいしか(仕事や家事などの生活以外で)本当やることが無いタイプなんだろう。僕もそっち側にどちらかといえば属すのかな。
どうしたら僕は後者のタイプになれただろう。中学や高校で適切に友達を作れればよかったのだろうか。それとも、コロナなんかどうでもいいくらい夢中になれる趣味を見つければよかったのだろうか。

0223

近況報告。

『パラサイト』を見た。1回目は一人で、2回目は気の知れる知人と。
とても面白かったし、単なる社会問題を描いた作品と片付けられない、一筋縄ではいかない映画だと思った。『ジョーカー』を見た後のような気分の悪さもなかった。

知人を呼びつけたのは、映画の感想を聞くためというのに加えて、マッチングアプリ用の写真を撮影してもらうためだったのだが、結局撮った写真を使うことはなく、マッチングアプリは削除した。

それとは全く関係なく大学の組織に入ったりした。これはサークルではないので、「サークル(サークルではない)」と呼んでいる。活動についてインターネットで言及することは控えたいと思う。

ともかく、そのような形で、自分から同じ大学の人に声をかけられるようになったというのは大きな変化だ。
自分語りをする。高校の最後の1年半くらいで対人恐怖が身についてしまい、同世代の人との交流が持てなくなった。それは大学に入ってからも続き、サークルに入ることはなかった。
最初に転機が訪れたのは、声優イベント、ないし声優ファンのコミュニティだったと思う。そこでは、社会人も、高校生も、ニートも、みな「オタク」だったのが良かった(「無知のベール」?)。
それから、プログラミングのアルバイトを始めて、また違った人達と交流するようになった。アルバイトは、自分が仕事をすることで、組織に役割を果たしているという感覚が一番強く持てるというのもあるが、社員の方々がコミュニケーションの場作りを積極的にしていらっしゃるというのが大きいと思う。
そして、今のTwitterアカウントのFFも、元はというと、読書メーターを通じて、高森さん、ジエチルさん辺りに知り合ったのが始まりだ。思えば、結構な日月が過ぎたかもしれない。
皆さんいつもありがとうございます。

コミュニケーションに対する心理的負担は、何歳になっても取れないものだけど、コミュニケーションを取るチャンネルを増やすことによって、少しでも負担を分散していけたらなあと思う。

明日は簿記3級を受ける。